「60歳からのおとな専科」 夢をつなごう「孫へのメッセージ」
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「未来を担うスポーツ少年たちへ」  次世代へのメッセージ

人として成長、友達の輪広げて  金澤 耿さん

サッカーは「子供を大人にして、大人を紳士にさせるスポーツ」と
言われます。
いま君たちは「1+1=2」のように必ず答えのある勉強をしていますが、
サッカーは答えを自分たちでつくり出すクリエーティブ(創造的)な
競技です。

君たちが大人になって社会に出ると、決まった答えが用意されていな
いことが多く、自分たちで方向性を見つけださなければなりません。
その時のためにサッカーだけでなく、答えのある学校の勉強をしっか
りやり、好き嫌いのないバランスの取れた食事、体力づくりをして、
基礎である心技体を鍛えてください。
それがJリーガーへの近道です。

社会に出てからの話をしましょう。
少し難しいかもしれませんが、私の経営哲学は近代サッカーの戦術と
よく似ています。
分かりやすくプレーに例えると、ディフェンスを上げることで広いピッチ
上にスモールスペースをつくります。
狭められたこの空間では判断力の早さとパスの正確さが必要となります。
同時に選手の役割もフォワードやディフェンスなど何でもできるように
オールマイティーでなければなりません。

また、ゴールを目指すにはボールにかかわっていない「オフザボール」
の選手の動きが重要になります。
「ボールから離れているから僕は関係ない」ではなく、相手ディフェンス
を引きつけたり、空いているスペースに走り込んだりするクリエーティブ
なプレーが11人の選手すべてに求められます。

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金澤 耿さんのプロフィル
1947年、帯広市出身。
帯広三条高校卒。
十勝管内をまとめる帯広地区サッカー協会の会長を98年4月から務める。
TRAD、エフエムおびひろ(FM−JAGA)各社長。


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「農地を受け継ぐ息子へ」   次世代へのメッセージ

「土作り」日々学び継続を    白川猛史さん

自分がまだ農業後継者と呼ばれていたころ、ちょうど今のおまえくらいだろ
うか、朝になってその日どんな仕事をしたらいいのか分からず、とりあえず
バイクで近所を一回りしてからみんなと同じ仕事をしていた。
“隣百姓”というやつだろう。
自分が預かった農地を見る余裕なんか全くなかったものさ。
ただシバムギが生えているやせた土地としか感じていなかったんだ。

何年かたって周囲の農地と見比べることができるようになった時、相変わ
らず生産力は低かった。
ただ、石がない乾燥地というのが非常に恵まれた条件であることにも気付
いたんだ。

クマザサとシバムギに覆われ、カシワの大木がそびえ立っていたこの
大地を切り開いて作物を栽培できる農地にしてから100年余りがたつ
だろうか。
そのうちの30年間この土地にかかわってきて、自分が先代から受け
継いだ時から見ると畑は確実に変わってきた。

馬耕からトラクター耕に変わり、15センチ程度だった作土層が35−
40センチになった。
深く丁寧に耕すことで雑草が減って農作業が楽になったものさ。
堆肥(たいひ)を購入して施すことで、より土が肥えてきたようにも思う。

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白川猛史さんのプロフィル
1951年、芽室町生まれ。
帯広農業高校卒。
在学中から農業に従事し、現在は22ヘクタールの畑で妻の良子さん、
長男泰寛さんとの3人で営農。
長女真由美さんは名古屋で大学生。


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「虐待を受けている子供たちへ」  次世代へのメッセージ

「満たされる日は必ず来る」   主婦 A子さん

私がこれまで生きてきた30年はつらく苦しく、今でも思い出したく
ない過去だったけど、今の私はすごく幸せになったから、私と同じ
ような苦しみを抱えている子供たちの力になりたくて手紙を書くこと
にしました。

私は4歳のころから義母に虐待を受けていたんです。
線香の火を肌につけられたり、残飯を食べさせられたり、裸のまま
外に投げられたり。
父は知っていたのに助けてもくれず、自分から言うこともできま
せんでした。
お父さんを困らせてはいけないし、義母への恐怖心もあって。
私はただ耐えることしかなく、いつの間にか泣くことも笑うことも
なくなりました。

私、親に「かわいい」と抱きしめられた記憶はないんです。
「もう生きていけない」と思い、振り返ると毎日のように死ぬことを
考えていました。
罪を犯す子が増えるのも分かります。
私も親を憎み、小さい子をいじめたくなる衝動がありました。
私のような子供たちはたくさんいると思います。

ねぇ、今なに考えてる? なにがつらい?

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主婦 A子さんのプロフィル
帯広市出身。
幼少時に義母から身体的虐待を受け、成人のころには虐待が原因で
摂食障害にもなる。
現在は結婚して夫と長男の3人暮らし。
独身時代から里親になることを希望し、里親登録した。


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「戦争を知らない孫へ」  次世代へのメッセージ

「命の尊さをかみしめて」    高木 菊義さん

その年(1941年)の12月8日、日本は世界を相手に戦争を始めたんだ。
世界地図を見てごらん。
太平洋の島々が戦場となり、日本は勢いに乗って一時はオーストラリアの
手前まで攻め込んだ。
だが、優位な戦況は長く続かなかった。

戦況が悪化するにつれ、45歳くらいまでの男は召集され、家を守るのは
年寄りと女、子供ばかり。
食糧生産や配給は満足いかなくなり、小学生は田舎の小学校やお寺、
旅館、民家で疎開生活を送ったものだ。
ひもじい思い、家が恋しくても帰ることさえできない、そんな状況を健二は
想像できるだろうか。

私はそのころ、「人間魚雷」という兵器を積んだ潜水艦に乗り込んだ。
魚雷には人間が1人乗り込み、潜水艦を離れると敵艦に命中しても外れても、
決して帰ることができない。
だから、「鉄の棺桶(かんおけ)」とも呼ばれていたっけ。
当時、戦争に勝つため、国に命をささげることが正しいことと言われていた。
でも、魚雷に乗り込む仲間の背中を見送るのは、本当に寂しく、悲しかったね。
その光景は今でも深く目の奥に残っている。

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高木 菊義さんのプロフィル
1920年、上士幌町生まれ。
1941年に第二次大戦に従軍し、戦時中は一等機関兵として、
特攻兵器「回天」(通称・人間魚雷)を積載した伊号三六七潜水艦に
乗り込んだ。45年の終戦ともに広島県呉軍港に帰投した。


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