「60歳からのおとな専科」 夢をつなごう「孫へのメッセージ」
テーマはシニアの健康、恋愛、グルメ、芸術、時評など。知的でセクシーでエキサイティングなブログ。
向谷実さん

向谷実さんの面白いトークに爆笑

向谷実さんがこんなに面白い方とは知りませんでした。
とにかく、向谷実さんのトークショウのあまりの面白さに、爆笑の
お裾分けです。
それでも、向谷実さんが一番楽しそうなのです。
何といっても向谷実さんの30年の恋が成就したんですからね!
YouTube傑作です(笑)

Wikipediaから引用


向谷実さんは
カシオペアのキーボーディスト


向谷実(むかいや みのる、1956年10月20日 - )さんは、
日本のミュージシャン、キーボーディスト。
フュージョンバンド、カシオペアのメンバー。

向谷実さんはライブでは、MC(司会)も担当。
達者な話術から「シカイヤミノル」の異名を取り、ライブでの魅力の
一つでもあった。

向谷実さんは鉄道ファンとしても知られ、シミュレーション・ゲーム
『Train Simulator』の制作者、株式会社音楽館 代表取締役としての
顔も近年有名であり、鉄道を扱うテレビ・ラジオ番組などにも出演し
ている。


名古屋芸大の教授に就任

また、2001年より名古屋芸術大学音楽学部音楽文化応用学科の
新設と共に向谷実さんは専任教授に就任。現役の音楽家・実業家の
視点から、実践的に音楽制作のノウハウを指導している。

向谷実さんは幼少の頃からピアノを習い初めた。
10歳頃には多くのクラシック曲が弾けるようになり、自分で作曲も
していた。その後エレクトーンに移行。
東京都立大学附属高校を卒業後、ネム音楽院のエレクトーン科に進学。
在学中に友人を介し野呂一生に誘われてカシオペアに参加、一緒にプロ
デビューを目指した。



スタジオ経営にも参加

1979年にカシオペアはレコードデビューをするが、それ以前の1977年に
カシオペアが出場したアマチュア・バンド・コンテストの審査員、鳴瀬喜博ら
に気に入られ、プロとしての仕事に度々誘われるようになった。
向谷実さんはこの頃から家庭を持ち始めたこともあって、自活のために
スタジオ・ミュージシャンやコピー譜の採譜作業をするようになる。

カシオペアの活動が軌道に乗ってからはレコーディング・スタジオ設計と
企業経営に関心を持ち始め、1984年にスタジオ・ジャイブを建設して
運営に参画した。
このスタジオで向谷実さんは亜蘭知子、松原みきなどのアルバムを
サウンド・プロデュース。
また、自らのソロアルバム2枚もこのスタジオを使って録音した。
カシオペアも1985年のアルバム『HALLE』から国内録音はここを
ホームグラウンドとして現在に至るまで使っている。

向谷実さんは友人の安西史孝の影響で1984年にはMacintoshの
使用を始め、1980年代後半から1990年代前半にかけては
「コンピュータに強いミュージシャン」として名を馳せた。
1993年にはカシオペアを素材に使ったCD-ROMソフトを制作した。



タモリとも親交

1995年には先のソフトで培った経験を活かし、鉄道の運転を疑似
体験出来るゲームソフト『Train Simulator』を制作開始。
このソフトは異例のヒットを記録して続々とシリーズを展開。
2001年にはそれまでパソコン用のみだった同ソフトをプレイステー
ション2用にも制作して、プレイヤーの裾野をひろげる。
2004年には九州新幹線の発車音楽や車内音楽を担当した。
2006年、東京急行電鉄の運転士訓練用の業務用シミュレーターを
制作するなど、かつて好奇心から始めた『Train Simulator』は
プロの現場からも注目されるようになる。
2007年6月には京阪電気鉄道の新発車メロディを提供、ここでは
導入駅それぞれのメロディをつなげると1つの曲になるという独自
の試みを実施した。

これら鉄道関連の作品制作と並行し、カシオペアのデビュー前後
から親交がある三枝成彰の実験的なコンサートにも参加している。

鉄道ファンとしてテレビ番組に出演する機会もあり、「タモリ倶楽部」
(テレビ朝日系)の鉄道ネタの回には比較的出演することが多い。
番組司会のタモリとはカシオペアがデビュー当時同じアルファレコ
ード所属であった縁から、カシオペアがタモリのラジオ番組にテーマ
曲を提供したり、タモリがカシオペアのコンサートパンフレットに
寄稿するなどして昔から親交がある。
また、鉄道評論家の川島令三と共にレギュラー出演した鉄道番組が
あった。

鉄道博物館の展示品「国鉄D51形蒸気機関車運転シミュレータ」の
開発にも携わった。


ティータイム

向谷実 
小田急ファミリー鉄道展 スペシャルステージ




テーマ:YouTube Music Video - ジャンル:音楽


村田兆治さん
少年に夢をつなぐ村田兆治さん

メシよりも野球が好きだった少年時代の僕。
ラジオの野球中継もスコアブックを付けながら聴いた。
プロ野球の唯一の詳しい情報源は月刊ベースボールマガジン。
好奇心の塊であった僕には月刊誌は何よりの栄養源だった。

野球のマニュアルも読んだ。
今、思うとお粗末な指導書だった。
当然、コーチも基礎的な指導方法を知らないわけだ。
ゴロの捕り方も、投げ方も、カーブの打ち方も、シュートの打ち方も
教えてもらった事がない。
思い起こすと野球だけではないが環境に恵まれない時代だった。


少年にプロの凄さを伝える村田兆治さん

野球少年にとってプロ野球はいつ見ても魅力的だ。
いつかは自分もプロになってプレーしたいと夢みる。
その野球少年たちを名球界の村田兆治さんが直接コーチしている。
それも、全国に点在する離島に出かけて行く。

村田兆治さんは今、58歳。
そして、140キロを超すストレートを投げる。
野球少年たちに真剣勝負で対峙し140キロを体感させる。
少年たちは村田兆治さんのストレートの球威に魅了される。
これは村田兆治からの次世代へのメッセージだ。

村田兆治さんの経歴をWikipediaから引用する。


マサカリ兆治の異名がある

(1949年11月27日生れ)広島県豊田郡本郷町(現・三原市)生まれ。
現役時代はロッテオリオンズで23年間活躍。
そのダイナミックな投球フォームから、マサカリ兆治の異名を取った。

福山電波工業高校(現・近畿大学附属福山高校)時代から、その球速
は既に150キロを超えていたと言われ、県内でも屈指のピッチャーと
して有名だった。
1967年、ドラフト1位で東京オリオンズに入団。
1年目の1968年は奮わなかったが、2年目の1969年に頭角を現し6勝。
1970年にはパ・リーグ優勝を経験。
翌年の1971年投球フォームを大幅に改造し、いわゆるマサカリ投法を完成。
同年12勝をあげて先発ローテーションの一角に食い込む。
1974年のロッテ日本一の際にも大車輪の活躍を見せた。
1976年にはフォークボールをマスター。
人並み外れた長い指が生み出す切れ味鋭い変化は、打者のバットに
悉く空を切らせ、このシーズン、村田兆治は21勝をあげると同時に
最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。
1981年には開幕11連勝を飾り19勝で最多勝のタイトルも獲得し、
名実共に1970年代から1980年代のパ・リーグを代表する投手となった。

突然の悪夢、肘に激痛

しかし1982年に肘を故障。日本球界では長年、投手の肘にメスを
入れることはタブーとされていたが、様々な治療法に取り組むも症状は
改善されないため、スポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ博士の
執刀のもと、左腕の腱を右肘に移植する手術を受けるべく、渡米。

以降2年間をリハビリに費やし、1984年シーズン終盤に復帰。
翌1985年、開幕から11連勝をあげるという鮮烈な復活劇を見せ、
最終的に17勝5敗の成績でカムバック賞を獲得、それまで低迷続
きだったロッテのリーグ2位獲得に貢献した。

この年から、中6日で日曜日のみに登板するローテーションを取るように
なったため、サンデー兆治と呼ばれるようになった。
1989年5月13日には山形県野球場の対日本ハム戦で200勝を達成。
翌1990年、若林忠志以来史上2人目となる40歳代での2桁勝利(10勝)
を記録し、同年引退。
引退試合となった川崎球場での西武ライオンズ戦では雨の中を力投し、
5回コールド完封勝利で有終の美を飾った。
先発完投にこだわった武骨な野球人生は「昭和生まれの明治男」と呼ばれた。


今も続ける「超人的なトレーニング」

引退後はNHK・日刊スポーツで野球解説者となり、その後1995年から
1997年まで福岡ダイエーホークスの投手コーチを務めた。
現在は、評論家としての活動の他に、全国各地を回って少年野球の
指導にあたる一方、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスにも
参加している。

現役を引退して十数年、齢50歳を超えた現在でもなお、「超人トレ
ーニング」と呼ばれるほどの厳しい鍛錬を行っている(後述)。
マスターズリーグ等においても、いまだに球速140キロに届くストレート
と落差20cmのフォークボールを披露し、ファンの度肝を抜いている。
これについて村田兆治は、子供たちに本物のプロのボールを見せて
「プロって凄いんだ」と思って欲しいためだと語っている。
2005年には野球殿堂入り。

2005年3月、プロ野球OB13人と共に長崎県対馬市に「対馬まさか
りドリームス」を設立、投手兼監督に就任した。
チーム名の「まさかり」は、現役時代に付いた異名に由来している。
このチームを率いて全国(特に離島)の少年野球チームを回り、
少年野球の指導をしている。
指導では必ずチームに所属する小学生バッターと村田兆治の一騎打ち
対決を行っている(村田も本気でフォークボールなどを放っている)。


フォークボールのエピソードは数知れない

村田兆治の代名詞・フォークボールについて、元阪急ブレーブスの山田久志は
「昔、うちの打者に『次、フォーク』と予告して、実際にフォークを投げ空振りさせ
た」と語り、また元南海ホークスの野村克也は「村田兆治のフォークボールの
癖はすぐ分かったけど、分かっていても打てなかった」と語るなど、その威力に
関するエピソードは数知れない。

右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだり、ドアを開ける
ときもノブを中指と人差し指で挟んで開けるなど、日々のトレーニングを欠かさな
かった。
夫人によれば、中指と人差し指でビール瓶をはさむと、彼女が引っ張っても抜け
ないという。


小学5年の時プロ野球を見て憧れる

プロ野球選手を志したのは小学5年のとき、父に連れられて広島
市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。
初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つ程興奮し、それ以来プロ野球選手以外
の将来は考えられなくなったと言う。
プロ入り当時は、ドラフト1位で入団した契約金を持て余し、パチンコや麻雀など
遊びに明け暮れていた。

そんなある日、徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロード
ワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせになる。


名投手小山の厳しい生活態度に衝撃をうける

村田兆治は、球界を代表するベテラン投手である小山が、若手である自分より
も遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、そのまま逃げるように
自分の部屋に帰っていった。
その後、練習中に小山に謝りに行ったところ「お前ほどの才能がありながら、
それを無駄にするのはさびしくないか」と諭され、これに感激した村田兆治は、
以降練習に真剣に打ち込むようになったという。


少年たちへの野球教室はライフワーク

引退後のライフワークとして、全国の離島を回って少年野球教室を開催している
理由は、日本にある有人離島の数が、自身の通算勝利数(215勝)と同じ数くら
い存在するからだと、著作やインタビューなどで語っている。
1992年、小学5年生向けの道徳の教科書に「逆境を克服した生き方」の教材と
して、村田兆治が右肘手術からの復活した時の様子が取り上げられた。
2007年5月26日のプロ野球交流戦、千葉ロッテ対横浜戦で始球式投手を務める。
この時の球速は135キロを記録したが、これはこの試合の先発を務めた渡辺
俊介の全投球よりも速いものだった。



ティータイム

タモリ倶楽部 part2
「鉄道の見えるBARで電車グッズを肴に一杯」




テーマ:「孫へのメッセージ」 - ジャンル:小説・文学


島田禎晋さん
プロ野球の中継はネット時代か?

「YouTube」で面白い動画を見る。
「Yahoo」でプロ野球中継を見る。
誰もが当たり前にインターネットで動画を見ている。

ところで、今から10年前(1998年)。
PCで動画は見ることが出来たでしょうか?
インターネットはまだまだ低速の時代。
しかも、インターネットは23時からがゴールデンタイム。

画像すらチマチマしか見ることが出来なかった。
インターネットする時はコーヒーを飲みながら、
のんびりとPCに向き合っていた。


光の研究に取り組まれた島田禎晋さん

これを高速化の基礎的な研究に取り組んで
来られた方が島田禎晋(しまだ さだくに)さん。
島田禎晋さんは元NTT光通信研究所長。
島田禎晋さんに荒井久から次世代へのメッセージ、
「孫へのメッセージ」の執筆を依頼した。
以下、荒井久のメルマガからの転載です。


「幼少時代の経験は何をもたらしたか」

子供の頃の戦争体験が、
研究者としての自分にどのような影響を与えたのか。
「孫へのメッセージ」(孫メ)を書くにあたって、
そのことをテーマにしようと思った。

そう語ってくれた、元NTT光通信研究所長に島田禎晋さん。

研究者としての生き方、考え方は、すでにいくつかの書き物がある。
島田禎晋さんは所長を退任する時も、自分を振り返る論文を書き、
最終講義では、諸先輩、お仲間、後輩などが聞き入った。
僕も参加させていただいた。

ところが島田禎晋さん。
「孫メ」の話を聞いた時、幼い自分を思い出したという。


小倉で過ごした幼少時代

戦争が激しくなっていた。
子供心に恐怖をもたらしていた。

研究者として過ごした満足感はある。
あの研究者魂はどこから来たのか。
もしかして、子供の頃に培われたものなのか。

今まで、そのことまで考えを及ぼしていなかったという。

そうか。
そのことを追求、言及できれば、最高の「孫メ」だ。
僕はそう思った。
さすがに、超一流の研究者島田禎晋さん。
目の付け所が違う。

そのことなら、まだ、どこにも書いてないからね。
島田禎晋さんは、そう付け加えた。


20年先を見据えてメッセージを

それと、もう1つ。
島田禎晋さんから、嬉しい応援メッセージをいただいた。

先日の日曜日の「報道2001」という番組でのこと。
永年、テレビのコメンテータを務めてきた竹村健一さん。
今日限りでテレビから引退するというので、特別コーナーができた。
そこにビデオ出演したのが、石原慎太郎東京都知事。
「竹村健一さん、これからは20年先を見据えてメッセージを発して欲しい」
そう、呼びかけたそうなのだ。

10年先ではなく、20年先を見詰めて。
さすがに石原慎太郎さんだなと思ったという島田禎晋さん。
そして、これはまさに「孫へのメッセージ」だ。
荒井久さんに伝えたかったという。

「孫メ」執筆のご相談で、ソリックを訪ねてくださった島田禎晋さん。
春爛漫の昼下がり。
あれやこれやと話が盛り上がり。
なんと二人で話は3時間半にも及んだ。

僕にとっては至福の時間だった。



ティータイム

タモリ倶楽部  part1
「鉄道の見えるBARで電車グッズを肴に一杯」




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藤原忠彦さん
自衛隊のイラク活動は違憲

昨日(4月17日)、自衛隊のイラク活動が違憲だと名古屋高裁が判断した。
国民感情は大半が違憲だが、国際貢献上やむなしと考えているに違いない。
憲法第九条の解釈は拡大解釈の歴史であったことは紛れもない事実だ。

「法」とは何か?
一般的には「社会規範」であり遵守しなければならないものだ。
では、戦時中の「法」や「命令」はどうだったのか。
「極東裁判」は「法」的にはどうだったのか。
今日は軍の命令に背いて「種の根絶」を救った感動の物語をご紹介しよう。



「川上犬と川上村を愛して」

長野県の山梨県に近い山間の村、南佐久郡川上村。
今や、高原野菜の出荷ナンバーワンとして有名だが。

日本一標高が高いところを走る小海線が開通するまでは、
佐久平とも断絶に近い、厳しい生活環境であった。

冬場にはマイナス25度Cにも気温は下がる。
昔は、栽培物といえば蕎麦ぐらい。
寒村であった。

そこには地犬と呼ばれる川上犬がいた。
その祖先は、狼ではという説もある。
孤立した環境ゆえに交配も進まなかった。

この川上犬。
人間には絶対的な服従をする一方で、
勇猛果敢な猟犬である。
時には、巨大な熊にも襲い掛かる。

後に長野県の天然記念物に。
そして、国の天然記念物にも指定された。


軍の命令「川上犬を殺せ」

ところが。
終戦間際には、こんな悲しいこともあった。
人間と同じものを食べる犬は駆除せよ、と国からの命令。
それほど、日本の食糧事情は悪くなっていた。

川上犬も例外ではなく、虐殺に遭うことに。
残酷を強いる日本人だった。

なんとか、この「つがい」だけは残したい。
現・川上村村長藤原忠彦さんの父、藤原武重さんは考えた。
そして、目立たない隣村の知人宅に預けたのだった。

「川上犬が絶滅」
まもなく掲載された新聞記事に、その知人は衝撃を受ける。
「なんとか、このつがいだけは守らねばならない」
「命をつなげなくてはならない」


奇跡は起きた、種はつながった

戦後しばらくして、その知人宅を訪ねた藤原さん。
感激で涙が止まらなかったに違いない。

10匹の川上犬が出迎えてくれたからだ。

「種」は残った。

それから、川上犬の保存活動が始まる。
今や、300匹以上を数えるまでに増えたが。
まだまだ、純粋犬としては最も少ない「種」だ。

現在、川上犬の保存会長も務める、藤原忠彦川上村村長。
藤原忠彦さんは村長として6期目。
すでに20年以上も村長職にある。

この間に。
寒村を農家1戸当たり、年収2000万円を達成する、
豊かな村に育て上げた。

こんな藤原忠彦さんも今。
「孫へのメッセージ」を執筆中だ。

(メールマガジン「孫へのメッセージ」の中から
荒井 久「川上犬と川上村を愛して」の転載です。)



藤原忠彦さんは村興しの名経営者

「村づくりは人づくり」が信条という藤原忠彦村長は名経営者ぶりを次々と発揮、
レタス・白菜・長いも・いちごなどの高原野菜を生産
『川上村レタス』のブランド化
高原野菜輸出プロジェクト
人手不足は中国人研修生の受け入れ、
中国人研修生のために上海TVの視聴を実現、
など独創性豊かなプロジェクトを実施して成果を上げている。



「孫へのメッセージ」執筆者を募っています

「孫へのメッセージ」の執筆者は、いわば戦後日本の復興に力を注いできた
60代、70代、80代のシニア層が対象です。
第一線を退くに当たり、これまでに培ってきたノウハウ、叡智、思想を次の
孫世代にまで記録を残していただくと共に、シニア層の活性化に貢献する
のが事業の主旨です。

詳しくはHP
「孫へのメッセージ」


ティータイム

タモリ倶楽部 2007/10/06
オープン間近の鉄道博物館へ行く その3




テーマ:「孫へのメッセージ」 - ジャンル:小説・文学


スカイプは素敵
まだスカイプしていない人のために

今、世界中で750万人の人たちがスカイプを使ってつながっています。
では一体、「スカイプ」ってなんだ?
はい、「通話」+「チャット」+「メール」+「TV電話」です。

スカイプを簡単に分かりやすく言うと、あなたのパソコンとお友達のパソコンが
「電話」に早変わりするのです。
電話は携帯電話で十分と言われるかもしれませんね。


何と言っても無料なのが魅力

でも、スカイプの方が音質もよく、便利で、何しろ無料です。
用意するものはマイクとスピーカーが一体型のヘッドセット、これが約1千円です。
いるものはこれだけです。
後は無料のソフトをダウンロードすれば準備完了です。
では、スカイプ同士の無料通話をやさしく手ほどきしましょう。


千円のヘッドセットを買ってくる

電気店かパソコンショップでヘッドセットを買ってくる。
ヘッドセットは両耳用と片耳用とがある。
どちらでも好きな方を買ってくる。
ちなみに、私は片耳用を使っている。
バッファロー製で1000円でした。
間違っても1万円もする高いものは買わない方がよい。


ヘッドセットを接続する

ピンクの端子がマイクでグリーンの端子がイヤーホーン用へ差し込む。
ついでに、パソコンの右下のアイコンの中からスピーカーの音量を探す。
音量のアイコンを見つけたら、ボリュームを中くらいにしておく。
やり方は音量の画面(右下のインジケーター)にカーソルを当てながら
左クリックを押したまま好きなところへ移動させる。


次はソフトをダウンロードする

SkypeのHPを開く
http://www.skype.com/intl/ja/welcomeback/
トップページの「ダウンロード」をクリックする。
Skype 3.6 for Windows ダウンロードをクリックする。
次に「Skypeをダウンロード中です」の画面に変わる。
この画面の1、 2、 3、の手順で起動させる。
これで準備は完了です。


あなたのお名前を登録する

ではもう一度Skypeのトップページへ戻ります。
今度は「アカウント」をクリックします。
もしも、英文のページが出てきたら、左下に日本語が選択出来ます。
ここで、スカイプ名を入力します。
お名前は本名でもハンドルネームでもかまいません。
パスワードは普段使っているものがいいでしょう。
これで、登録完了です。


スカイプを使ってみよう

また、Skypeのトップページへ戻ります。
今度は「Skypeの使い方」をクリックします。
次に「Skypeの使い方」すぐ下にある「連絡を取り合う」をクリックします。
次に「無料サービスは誰にとっても嬉しいものです。」の記事の中の
Skype同士の無料通話 をクリックします。
ここに無料通話の説明があります。


スカイプ友達を探す

では、ひとつ前に戻って「連絡を取り合う」をクリックします。
戻れない場合は「トップページ」→「Skypeの使い方」→「連絡を取り合う」です。
次に「使い方はシンプル」の囲み記事の中の「友達の検索」を読みます。
そして、コンタクトの追加に関するガイド をクリックします。
   ここには画面入りで分かりやすい説明があります。


スカイプでお困りになったらご質問下さい

今ではスカイプなしの生活は考えられなくなってしまいました(笑)
そこで、まだスカイプをお使いでない方々に便利なツールをご紹介しました。
スカイプを使う上で、分からないことがあれば、右側のメールフォームからお尋ね下さい。
私で分からないことはご質問を公開して皆さんの知恵で解決しましょう。
「スカイプ」以外でもお困りのことはご質問下さい。
この方法で解決しましょう。


ティータイム

タモリ倶楽部 2007/10/06
オープン間近の鉄道博物館へ行く その2




テーマ:実用・役に立つ話 - ジャンル:趣味・実用


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池田信夫さん
「失われた10年」歴史の教訓

サブプライムで日本から学ぶものはない
サブプライムでゆれる米国、しかし、バブル崩壊の日本の歴史から
は学ぶべきことは何もないという。
私たちは「失われた10年」を超えていまだに預金金利が低水準に
抑えられて苦しんでいる。「失われた10年」の政策的失敗とは何だっ
たのか、歴史からその教訓を明確にしなければならない。
日銀総裁問題に対する背景とあわせて池田信夫氏のブログから歴史
の教訓を探ってみた。

以下、池田信夫氏のブログから引用


「失われた10年」の誤った教訓

日銀の副総裁が、またも民主党(というより小沢一郎氏)によって
拒否された。今度は「天下り」が理由だ。
しかし、これは90年代の日本の失敗(小沢氏もその責任者だ)
から誤った教訓を引き出すものだ。
当時、現場で不良債権処理の過程をずっと見て当局の責任者に
も取材した者として、何が失敗だったのかを明確にしておく責任
があると思うので、少し書いておこう。

一部の経済学者はマクロ指標だけを見て、「日銀がバカだった
ことが失敗の最大の原因だ」というが、これは原因と結果を取り
違えている。
1998年の日銀法改正までは、日銀は大蔵省の一部であり、その
政策の責任は大蔵省にある。
特に1980年代後半、「円高不況」や「内需拡大」の外圧に対して、
大蔵省が財政赤字を削減するため、景気対策を日銀だけに押し
つけたため、過剰な金融緩和によって資産インフレをまねいた。



つづきはこちらから 池田信夫 blog

歴史の教訓を活かそう

第2次世界大戦で多くの犠牲を払って手にした民主主義。
戦争は始まってしまうと後戻りは難しいとこも歴史の教訓だ。
民主主義の国、アメリカでさえ、ヴトナム戦争やイラク戦争はその戦争
に至る要因は理解しても、後戻りすることの難しさを知った。

開戦の正義を訴えられたときの、反戦の声を上げる勇気と難しさをイラ
ク戦争で体験して来た。
この辺りで「失われた10年」の教訓をもう一度、認識するべきではない
だろうか。



ティータイム

タモリ倶楽部 2007/10/06

オープン間近の鉄道博物館へ行く(前編)



テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済


飯田稲美雄さん

77歳の江戸指物師・飯田稲美雄さん

素晴らしい方にお会いした。
その方の名前は飯田稲美雄さん、77歳。

なにはともあれ、そのお話を共有したい。


  私はね、もう64年も働いているんです。
  年齢ではないんですよ。
  14歳の時から、同じ仕事を64年も続けているんですよ。
  そして、まだまだ続けたいんです。

  しゃきっとしたお姿、輝く目線に僕は惹きつけられた。

  東京生まれの私は当時、旧制の中学生でした。
  1945年5月、関東大空襲に襲われました。
  仲間の、おそらく三分の二は亡くなりました。
  今でも、命日にはお参りに行きますが、昔の仲間に会うことはありません。
  手を合わせて、冥福を祈るだけです。


  私の疎開先は静岡県の掛川ということろでした。
  そこに軍の工場があり、そこで私の建具師、指物師としての仕事が始まりました。
  以来、「木」に向かう私の人生は64年に及ぶのです。

  昨年、昔からの工場を移転。
  少し、仕事を縮小しようと思ったのですが。
  どうしても、仕事がしたくて。
  また、再開しています。

  名刺も新しくしようと思いますが。
  タイトルは、江戸指物師でしょうか。

  大好きな木ですが、ほんとうに木は奥が深いんです。
  とてもとても、まだまだ修行が足りないと思っています。


  材木の表面を「顔」といいますが。
  美しい顔が、いっぱいあります。
  世の中に1つとして同じ木はないんです。

  そんな美しい顔に手を入れてあげると。
  立派な作品に生まれ変わります。
  まるで生き物のようです。

  特に、苦労して育ったなあと思う木は、ものすごく美しい。
  あまりに美しくて、道具で痛めつけたくない気持ちにも襲われます。
  ときに、女房よりもいとおしく感じるときがあります。
  ほおずりしたくなります。


  やんちゃ者の木もあります。
  何か逆らって生きてきたような「悪」の顔もあります。

  しかし、そういう木でも。
  だましだまし、少し時間をかけて手を入れてあげると。
  なんとも、とっても魅力的な者に大変身することがあります。
  やりがいがありますね。

  気に入った木に出会って。
  もう30年も40年も大事に抱えている木もあります。
  時間を掛けて乾燥させたりしているのです。

  弟子も6人ほど育てました。
  今は建具の利用が減ってきているのですが。
  和風の行灯などが喜ばれています。

お話を聞く中、僕は、飯田さんの左手中指と人差し指がないのに気が付いた。
あ、落とされたのですか。
思わず聞いた。


  そうそう43歳の時でした。
  大きな電動の丸鋸に指を入れてしまった。
  瞬間に二本の指が吹っ飛びました。
  薬指も半分くらい切れていました。

  自分の不注意だったから、泣き言はいいません。
  病院に行きましたら、同じように指を落とした小さな子がいました。
  ああ、まだ小さくて可愛そうに、と言いましたら。
  かわいそうなのはあなただ、と医者に言われました。

  小さい子はすぐに慣れる。
  あなたは慣れるのにかなりの時間がかかる、と。
  それに私は、手が命の指物師でした。

  「私が親方の片腕になります」
  弟子が、そう言ってくれました。
  痛さよりも、そちらに涙がでました。

  幸い、私は右利きでした。
  以来、わざと左手を酷使するように鍛錬を続けました。
  今は何の不自由も感じません。



昨年、喜寿を越えた飯田さん。
その生きるエネルギーの源は何だろう。

2カ月ごとに開催の「まごころフォーラム」には必ず登場。
メインゲストにご自分の作品をプレゼントされている。
1月の例会でも、日銀の福井総裁に「行灯」を贈呈。
その美しさを皆さんに披露してくださった。

こんな方には是非。
「孫へのメッセージ」を残して欲しい。
僕がそうお願いすると。
中学生の孫娘がなついて、なついてね。
そう言って、目を細めた。

日記を読んでくださった方からも是非。
応援メッセージが欲しい。
(荒井 久の制作日記から)

  *指物(Wikipediaより引用)
  指物では、釘などを全く使わずに家具などの調度品を作成する。
  木と木を巧妙に継ぎ、その組み手を見せない技術はまさに芸術と呼べる。
  転じて、その技術でつくられた家具、建具、調度類のことも指物と呼ぶ。


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長尾 真さん
これは次世代「孫へのメッセージ」だ

自然科学の“世界”。
哲学の“世界”。
第3の世界。
それはコンピュータとコンピュータネットワークにおける“世界”。

人々にとっては、実の世界と虚の世界とはできるだけ同じような感覚で
生活できる空間であるべきで、次のようなことがらなどは大切である。
・不要な情報を排除し、大切な情報だけを伝える。
・情報の信憑性の情報は否定情報も示し、一方的な判断が行われない
ようにする。
・情報のやりとりや情報の取得など、人間的速度で。
・情報の信頼性を担保するために、ネット上でもface-to-faceの
情報交換を実現する

このように「日経サイエンス」2007年7月号「虚の世界をどう見るか」で
書かれている。


 長尾さん(元京大総長)は神主の息子さん

  Wikipediaから引用すると
  長尾 真(ながお まこと、1936年 - )は、日本の情報工学者。
  京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学名誉教授。
  元京都大学総長、元独立行政法人情報通信研究機構理事長。
  現職は国立国会図書館長。

  専門は、自然言語処理・画像処理・パターン処理。
  特に、1980年代前半に日本語の形態素解析法を確立し、科学技術
  論文の日英・英日機械翻訳システムを完成させたことで有名。
  この技術は、今日の機械翻訳技術の基盤となり、世界を代表する
  音声研究の第一人者である。

 長尾さんの画像解析の研究成果は
 郵便番号読取にも応用された


  画像処理の分野では、世界に先駆けてフィードバック機構を導入し、
  顔写真などの解析技術を大きく向上させた。
  パターン処理の分野では、手書き文字の認識方式を提案した。
  この手法は、初期の郵便番号読み取り装置へ応用された。
  近年は、電子図書館のシステム構成を主に手がけており、現在も
  現役の研究者である。

  学界行政の分野でも手腕を発揮し、電子情報通信学会会長・情報
  処理学会会長などを歴任。
  1997年から2003年まで京都大学総長を務め、総長として国立大学
  法人化を経験した。
  また、自ら機械翻訳国際連盟・言語処理学会を設立し、初代会長
  を務めた。

  京都大学退官後、2004年に旧通信総合研究所と旧通信・放送機構
  が統合して設立された情報通信研究機構の理事長に就任。
  さらに2007年には研究者出身者としては初めてとなる国立国会
  図書館の館長に就任した。
  なお図書館界とは電子図書館の開発で以前から縁が深く、京都
  大学総長在任中から、日本図書館協会の会長も務めている。


永遠のフロンティアー人間を見つめた情報学ー
これはまさに長尾さんからの次世代へのメッセージ

昨年(2007年)10月から始まった京都大学のオープンコースウェアに
登場する長尾さんの講演だ。
アメリカの大学から10倍のサラリーでの誘いを断って京大で研究を
続けたエピソードなども語られている。






長尾さんの主な著作のご紹介

「わかる」とは何か         岩波書店    735円
コンピュータで翻訳する  編著  共立出版  1,995円
人工知能と人間          岩波書店    591円
研究情報ネットワーク論      勁草書房  3,150円
画像と言語の認識工学       コロナ社  7,875円
機械翻訳はどこまで可能か    岩波書店   998円


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加藤和郎さん

加藤和郎さんは元NHKのチーフディレクター
「あさま山荘事件」も担当しカンヌで受賞


はてなブックマークより引用すると加藤和郎さんは

  1943年東京生まれ。1965年NHKに入局。
  ラジオドラマなどの制作を経て、TVニュース取材ディレクター。
  72年に起きた「あさま山荘事件」では、10日間のニュース映像と
  強行救出10時間生中継映像とで構成したドキュメンタリーが、
  カンヌ国際ルポルタージュコンクール審査員特別賞を受賞。


 「ソウル五輪」「ウインブルドンテニス」も手がける

  その後、朝の大型ニュース番組(現在の「おはよう日本」)を始め、
  「選挙特番」「ゆく年くる年」などを総合演出。
  88年衛星放送開始に伴い「ウインブルドンテニス」や「ソウル
  五輪」などワールドスポーツ番組のチーフディレクター。

  NHK衛星第一副編集長、衛星放送局編成チーフプロデューサー
  を経て、94年にNHK情報ネットワーク企画事業部担当部長。
  「情報化メディア懇談会」を主宰して月刊『I-Media』を発行。
  併せて「モンゴル国交樹立25周年ジャパンフェスティバル」
  (ウランバートル)をはじめ、「カウントダウン2000ロックフェス
  ティバル」(ハウステンボス)や「自治消防55周年記念大会」
  (東京ドーム)など大型イベントの構成・演出も手がけた。


 ミス日本コンテストの審査員も

  現在はNHK文化センターで「映像塾」を主宰するとともに、
  ミス日本コンテスト・スーパーバイザー及び本部審査員、
  JAAミュージカルアカデミー・スーパーバイザー、実践美学
  フォーラム幹事、全国伝統的工芸品コンクール審査委員など
  を務める。

  能楽など古典芸能の解説で舞台に立つことも多い。
  加藤和郎さんはモンゴル国カラコルム大学から名誉博士号を
  授与され客員教授。
  加藤和郎さんの著書には
  「ビデオの撮り方・楽しみ方」(日東書院)、
  「Beginカメラの基本」(世界文化社)、
  「創造する経営」(共著・日科技連)
  などがある。


宮中のご挨拶「こんにちは」は使うか?

正解は「使わない」
では、「こんばんは」は使うか?
正解は「使わない」
では、もう一つ「おはようございます」は使うか?
正解は「使う」

それでは、「こんにちは」や「こんばんは」の代わりに何と言うか?
「ごきげんよう」
なのだそうです。


東宮侍従の中島 宝城さんとFMで対談

福岡市のコミュニティFM局StyleFMの番組に「言葉の美容室」と
いう番組の中で加藤 和郎さんがインタビュアーをしています。
その中で中島 宝城さんとの対談に宮中のお話が出てくるのです。

中島 宝城さんは東宮侍従、式部官、式部副長を歴任。
この間、歌会始の儀などの宮中の儀式と雅楽を担当し、
昭和天皇の大喪儀・大喪の礼、天皇陛下の即位の礼・大嘗祭、
皇太子殿下の立太子の礼・結婚式などの儀式を総括担当した。

 

加藤和郎さんと荒井久とメール交換中
偶然同じ列車「あずさ号」に乗っていた


もう一つ、不思議なめぐり会いをご紹介します。
以下は荒井 久のメールマガジンから転載です。


『心のネットワーク』

祖父が残した12枚の「戦争手記」
まさしくそれは、孫へのメッセージではあるまいか。

そして、不思議なことが起きた。
それぞれの心のネットワークが存在している気がしてならない。

話は、NHKを定年退職された加藤和郎さんに出した僕のメールから始まる。
加藤さんは退職と共に、名古屋学芸大学メディア造形学部の教授になられた。


長年に亘り、「情報化メディア懇談会」を主宰された加藤さん。
番組創りの現場を離れ、NHK情報ネットワークに所属した時のお仕事だ。
僕もそれに参加していた。
それが終わってから、もう1年以上が経つ。

だから、1年以上はお会いしていない。
それで、「孫メ」プロジェクトのメールをお出ししたのだった。

2日後、加藤さんからこんなメールが届いた。

返信が大幅に遅れて申し訳ありません。
北海道新冠町にあるレコード館が10周年を迎えたので、
記念シンポジウムとコンサートで、酒井政利、久保田早紀、
斉藤アンジュ玉藻(バッハのヴァイオリニスト)、
稀音家六綾(長唄・三味線)を連れて行っていました。


「孫へのメッセージ」は面白い企画ですね。
孫が祖父の青春時代を知りたいという想いで制作した学生の作品が
全国映像制作者協会のコンクールでグランプリになりました。

「確かにあった過去〜語らなかった祖父の物語〜」ですが、
タイトルがいいでしょう。
かつてあったからこそ「過去」ですが、確かにあったかどうかは
本人の周辺しか知らないわけですよね。


「確かにあった過去」で検索すると、
映像が見られますので覗いてみてください。
私は、これから3日までパソコン環境にありませんが、
携帯アドレスは生きています。
4日にはトリトンにおります。

ケータイ嫌いと言っていた加藤さん。
どういうことだろう。
「ケータイにメールくださいね」と伝えているようにも見える。

それしても「語らなかった祖父の物語」
早速に検索してみた。
あった。

解説にこうある。


 祖父が残した12枚の「戦争手記」
  を元に、当時のまま残る、主計兵として祖父が働いていた
  建物や、同じ海兵団出身者の体験談、そして肉親の思い出話
  などから、彼の歩みを辿り、当時の情景に思いを馳せながら、
  時代と共に風化していく戦争の記憶を綴ったドキュメンタリー
  映像。

  作者を含め、若い世代の人間にとっては、まるで映画や小説
  の中のように現実感のないものかもしれないが、当時の厳しい
  現実や生死を分けた体験などは、ドキュメンタリーとして、
  貴重な記録となろう。
  制作:井上 莉沙(名古屋学芸大学)


63年を経て、風化されつつある「12枚の戦争手記」。
僕は、それを元にしたドキュメンタリー映像に引き込まれた。
孫である制作者の淡々としたナレーション。
祖父から孫へ、心のネットワークがつながっている気がした。
グランプリも当然だ。

多種多様な経験を積まれた加藤さん。
他に話が弾むかも知れない。
どうやらお会いできそうだ。

あくる日、僕は長野県茅野市に向かわねばならなかった。
新宿に着いた僕は5分後に発車する特急「あずさ号」を見つけて、

特急券も買わずに飛び乗った。

ふう。
そこで、僕はご指定のケータイアドレスにメールを差し上げた。

加藤さん、ありがとうございます。
それでは、4日の朝10時とかにお邪魔できないでしょうか。
それと、加藤さんからいただいたメールを、
僕のメルマガなどに実名で公表してよろしいでしょうか。

なんと、すぐに返信が届いた。

4日は11時から夕方までトリトンにいる予定ですが、
新宿で10時でもいいですよ。
トリトンは通訳翻訳会社に居候ですので、
何か縁が生まれるかも知れません。
僕のメールは公開されても、後悔するものではありません。

相変わらずの加藤さんの駄洒落だ。
公開されても後悔しないか。
タイトルも「公開先に立たず」となっていた。

早速にありがとうございます。
トリトンに11時でもよろしいでしょうか。
駄洒落の誘いにも乗れずに、そう返信した。

お待ちしています。加藤

伺います。

中央線のあずさ号で、勝沼の辺りを通過中です。
梅は咲いているものの、まだ、冬景色です。

駄洒落に対抗できない僕は、ちょっとした風情を伝えた。

偶然ですね。
今、甲府発車でしょう。
6号車4番です。
小渕沢までです。

思わず僕は、車両の入り口を見た。
3号車だった。
慌てて駆けつけたのは言うまでもない。

なんという偶然。
まるでドラマみたいだけど。
こんな演出、加藤さんはしないだろう。
それにしても、現実にこんな偶然が起きた。
話が弾み、再会を約束して。
特急「あずさ号」は、小淵沢駅に滑り込んだ。

わずか10分のミーティング。
ここにも、心のネットワークがつながっていたのだろうか。


ぜひ、ご覧下さい。13分の貴重なドキュメンタリーです。


「確かにあった過去 〜語らなかった祖父の物語〜」


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「チャールトン・ヘストン」
名優の死

往年の名優チャールトン・ヘストンが5日、84歳で亡く
なった。
映画の全盛期に青春時代を過ごしたシニア世代にとっては
映画館で過ごした時間がトラックバックするのではないか。
彼の主演した「ベン・ハー」のスクリーンからはみ出し
そうな戦車競争の迫力は臨場感に溢れ観る者を釘付けに
させるヒーローそのものだった。

今はCGで不可能な撮影も簡単に出来てしまう、どんな
奇抜なシーンも臨場感は希薄になってしまう。
しかし、60年代の特撮はCGではないから観る者を興奮
の坩堝に引き込んでしまった。

あなたはどれだけ見ましたか

さて、あなたはチャールトン・ヘストンの主演映画をどれ
だけみているのだろうか?
地上最大のショウ(1952年)
十戒        (1956年,セシル・B・デミル監督)
黒い罠      (1958年、オーソン・ウェルズ監督)
大いなる西部  (1958年、ウィリアム・ワイラー監督)
ベン・ハー    (1959年、ウィリアム・ワイラー監督)
エル・シド     (1961年、サミュエル・ブロンストン監督)
ダイアモンド・ヘッド(1962年、ガイ・グリーン監督)
北京の55日   (1963年)
華麗なる激情  (1965年、キャロル・リード監督)
偉大な生涯の物語(1965年)
ダンディー少佐  (1965年、サム・ベキンバー監督)
猿の惑星      (1968年、フランクリン・J・シャフナー監督)
ジュリアス・シーザー(1969年。スチュアート・バージ監督)
続・猿の惑星   (1970年)
地球最後の男オメガマン(1971年、ボリス・セイガル監督)
アントニーとクレオパトラ(1972年、監督・脚本も。)
ソイレント・グリーン(1973年)
三銃士       (1973年)
大地震       (1974年)
エアポート'75   (1974年)
四銃士       (1974年)
大いなる決闘   (1976年)
王子と乞食    (1977年)
クライシス2050  (1990年)
マウス・オブ・マッドネス(1994年)
トゥルーライズ   (1994年、ジェームズ・キャメロン監督)
ハムレット      (1996年)
エニイ・ギブン・サンデー(1999年)
PLANET OF THE APES/猿の惑星(2001年)
ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年。マイケル・ムーア監督)


ヘストンの声を覚えていますか?

思い出せない方はこのブログの最後に「猿の惑星」をご覧に
なって下さい。
そう、吹き替えはあの納谷 悟朗さんなのだ。
納谷 悟朗さんと言えば、いわずと知れた「ルパン三世」の銭形
警部だ。
そして、熱狂的なタイガースファン。


ベン・ハーのストーリーをお忘れの方に

ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇
な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。
紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人
の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。メッサーラは任地のエルサレムで
幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は
強い友情で結ばれていた。
しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きた
ことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣を
きせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった
罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーは
まだ知らなかった。
罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれ
ば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦におい
て司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令
官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ
戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報
に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。
やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑む
ことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、
瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。



「猿の惑星」 (1967年)




「猿の惑星」 (1967年)



テーマ:洋画 - ジャンル:映画


「プロフィール」
ブログ制作者の横顔紹介

ハンドルネーム   YOYO
             (由来はヨーヨーマーから)
性別  男
星座  1936年生れの牡羊座
離婚暦 2回
仕事  メルマガ「孫へのメッセージ」の編集人
     失敗を繰り返しても懲りずに新しい事に挑戦している。

YOYOの好きなこと

グレン・グールド
バッハの「ゴルドベルク変奏曲」、それも晩年の録音版、
初期の疾走感のある演奏より、落ち着いたテンポの晩年の
演奏が好み。

ジャック・ルーシェ・トリオ
プレイバッハをBGMとして聴く、一日中聴いていても飽きない。

パウル・クレー
彼の作品の色彩とフォルムがたまらない。
先進性と保守性が同居する感性
(音楽の保守性と絵画の先進性のアンバランス)


浜田省吾
彼の生き方の愚直なまでの直向さ
変化を受け入れる柔軟性
精神性の高い確かな表現力
心地よいメロディライン

荒井 久
豊かな人間性と先進性
高い精神性の滲む表現力
酒席でのホスピタリティ

好きな仕事
メルマガ「孫へのメッセージ」の編集人
ウェブ「孫へのメッセージ」へも遊びに来て下さい。
クォリティの高いメルマガ(自画自賛)をよろしく。

嫌いなもの
匂いの強いもの (にんにく、にら、春菊、など)
生臭いもの (うに、いくら、など)

どうぞ、よろしく。


ティータイム
大井川鉄道


テーマ:自己紹介 - ジャンル:ブログ


「知的好奇心」
「好奇心」をかきたてる微小世界

私たちの身の回りに存在する全てのものを分子レベルまで
拡大して見たら、その世界ははたしてどんな世界が現れるのか。

さっそく私の好奇心を猛烈に掻き立てた写真を紹介しよう。
有名なデザイナーの制作したコンピュータグラフィックスの作品
と思われるもの、はたまた、画家が描いた作品、例えば43番目
の写真などは「これはクレーの絵画の世界だ」と眼を疑った。

著作権の関係でここでは直接掲載出来ないが全部で97枚もの
顕微鏡写真集だ。

さて、あなたはこの写真集の最後のページまで辿り着けるか?
もちろん、全部ご覧になった方は好奇心旺盛の若々しい方だ。

米国ニコン・インスツルメンツ社の顕微鏡写真集


ティータイム
新幹線(国鉄時代)1985年頃



「指揮者ブロムシュテット」
ブロムシュテット若々しさの秘訣は

ブロムシュテットのオーケストラを指揮する姿は若々しい。

スリムで動作が機敏で遠目には60歳くらいに思える。


3月のN響アワーで初めて彼のインタビューを見た。

音楽への熱い想いを視聴者に語る姿は実にすがすがしい。

そして、実に驚いたことに彼は80歳だという。

これは驚異である。


そして、シニアの生き方について様々な示唆に富んだ話を聞くことが出来た。

若さを保つ秘訣は

退屈を追い出すこと、

好きなことを見つけて取り組むこと、

夢中になること、

脳を忙しくすること。


酒もタバコもコーヒーも飲まない。

特に指揮は身体で表現するので運動にもなり、最高によい。

何か楽器に取り組むとよい。


彼について調べると、実に興味深いことが分かってくる。

Wikipediaから引用すると

 バーンスタインの門下生

 ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )はアメリカ

 生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。

 仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリング

 フィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ

 大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学して

 ジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽

 センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年にクーセヴィツキー賞を獲得し、

 1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝して本格的にキャリアをスタートさせた。


 N響の名誉指揮者

 その後、ノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、

 デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任

 した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。

 ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団(1985年〜1995年、現在

 は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995〜1998年)を経て、1998年

 から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた

 (現在は名誉指揮者)。

 また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。


 徹底した菜食主義者

 ブロムシュテットは徹底した菜食主義者として有名で(宗教上の理由による)

 である。肉だけでなく動物の関わる食材を使用しているものは口にしない。

 NHK交響楽団の来演に際しNHKは昼食に蕎麦を出したが、蕎麦つゆは鰹を

 出汁にしたものであると知ったブロムシュテットは麺だけしか食べなかった

 というエピソードがある。



ブロムシュテットについて掲載したサイトの紹介

「ぶらぶら人生」
http://blog.goo.ne.jp/oyuse13/e/888c2b08b02d501ca812025731cc5ba3

「HMV」
http://www.hmv.co.jp/news/article/501140112

「Air Live Classic + α」
http://liveclassi.exblog.jp/7679306/

「Conductor's Club」
http://conductor.cool.ne.jp/conductor/conductor/blom/blom.html

「ぶれいもの音楽隊」
http://bureimono.blog83.fc2.com/blog-entry-305.html

「Gladius Dei」
http://blogs.yahoo.co.jp/kalos1974/11742218.html

「本日のライヴ録音」
http://liverecording.blog49.fc2.com/blog-entry-12.html

「東条碩夫のコンサート日記」
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-127.html

「ゼロの音楽庵」
http://zeroimpro.blog89.fc2.com/blog-entry-302.html

「鴨東記」
http://rakuhoku.way-nifty.com/outouki/2007/02/2_c233.html

「ガーター亭別館」
http://falfal2.way-nifty.com/garter/2008/01/post_9e21.html

「クラシックで豊かな時間を」
http://hironominv.blog.so-net.ne.jp/2008-02-10


ティータイム
栃木の車窓から-真岡鐵道





テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽


「KY」について
質問 「KY」ってなに? 

そう、「KY(ケーワイ」とは「空気が読めない」の頭文字。

つまり、「場の空気が読めない人」のこと。


「KY」ってお笑い系のTV番組専用の言葉かと思っていた。

では「場の空気」とは一体何か?

調べると精神疾患から小泉旋風や日本の安全神話崩壊までが

「KY」に凝縮されているようだ。


まず、日本語俗語辞書(引用)によると、

 女子高生のメールから普及した

 その場の雰囲気や状況などを察する(感じる・掴む)ことを

 「空気を読む」とも表現する。

 KYはこの「空気」と「読む」の頭文字で、主に空気が読めない人を意味する。

 また、逆にそういった人に「空気を読め」と提言する際にも「KY」と耳元で

 囁くなどして使われる。

 女子高生がメールのやりとりで使い、普及した。

 若者の間では以前から使われているが、2007年、こういった頭文字略語の

 存在が話題となり、広く知られる。



次は、Wikipedia(抜粋)では
   

 「場の空気」とはなに? 

 コミュニケーションの場において、言語では明示的に表現されていない

 諸要素のこと。

 「場の」はつけず、ただ「空気」と表現されることも多い。


 空気を読むは暗黙知

 現在では、集団や個々人の心情・気分、あるいは集団の置かれている

 状況を指すことが多い。

 場の空気を読む、すなわち場の空気を意識することは暗黙知であり、

 心理学ではこのような能力を「社会的知能(ソーシャル・インテリジェンス)」

 と呼んでいる。


 KYは人格障害ではない

 周囲と円滑なコミュニケーションが営めず、当人がその状態を苦痛と

 感じる場合、精神医学では人格障害と診断する。

 但し、人格障害だから場の空気が読めないのではなく、場の空気が

 読めないことを本人が苦痛と感じる場合に人格障害と診断される。

   
 ネットコミュニティにもある場の空気

 ネット上に様々なコミュニティが生まれ、そこにても「場の空気」に

 相当するものが見られ、「空気」の位置づけに関しては、それなりに

 新しい状況も見受けられる。
   
 ネット上のコミュニティのコミュニケーションは、人と人が顔を合わせての

 コミュニケーションとは異なり、多くが文字によるコミュニケーションである

 ため、顔の表情・眼元・声色といった「場の空気」の読解に必要な

 非言語的シグナルの大部分が抜け落ちてしまっているので、相手の

 真情を察することは困難なことも多い。
   
 そのため、メンバー間の感情的衝突の回避などは、「場の空気」ではなくて、

 管理者や中心的メンバーがルール・ガイドライン・コンセプトなどを文字の

 ルールに基づいて強制的に文章を削除する措置によって実現している

 ことも多い。

 コミュニティの中にも不文律的なもの、雰囲気、「場の空気」に類似したものを

 やはり持っているコミュニティも存在する。

 ガイドラインなどではなく、「過去ログ」などの記録によって、参加者間に

 「場の空気」に相当する認識・意識が生まれていることもある。

   
 戦艦大和の沖縄出撃にもKY

 山本七平は、例として戦艦大和の沖縄出撃を挙げ、出撃は無謀であると

 判断するに至る細かいデータおよび明確な根拠があるにもかかわらず、

 明確な根拠の全くない出撃が「空気」によって最終的に決定されたと

 指摘している。

 この事象をもって、山本は「それ(空気)は非常に強固でほぼ絶対的な

 支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、

 『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」と述べた。

 また、冷泉彰彦は、2005年に行われた第44回衆議院議員総選挙で

 自民党が大勝した原因の一つとして、小泉純一郎首相(当時)が

 作り出した空気の支配を挙げた。

   (ここまで、Wikipediaから抜粋)



空気読む人は「びくびく人間」? 

空気を読む人、他人の顔色をうかがっている人を「社会的びくびく人間」と

呼ぶのは、「日本の『安心』はなぜ、消えたのか」の著者・山岸 俊男氏

(北大教授、社会心理学者)だ。

つまり、KYでない人々の側にこそ問題をはらんでいると説く。

なぜ、びくびくするのか。

著者は環境だという。

環境に安心がないから空気を読む。

環境が危険状態にある警告だという。


即時性がもたらす弊害

ネット社会が作り出したインタラクティブによる即時性、この結果、

考えることを止めてしまい場の空気を読む習慣が身についてしまった。

この傾向は06年の小泉郵政選挙がその典型ではなかったか。

多様な考え方や多様な方策が在ってしかるべき事が考える前に

二者択一にすりかわっていく。大多数が空気を読む派になって

しまった時の危険性を認識すべきだ。



KYの話題をネット上で集める


不毛な「ガソリン国会」論議 KY与野党は世界の空気読め!
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/080124_44th/

疑似科学と「空気」の研究
http://blackshadow.seesaa.net/article/90491867.html

出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=598

若者の「KY式日本語」には、ネットとケータイの影響
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/teens/

“KYブーム”が読めていない、2つの空気
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/114/

【独女通信】今もっとも敬遠される女・・・”KY”たちの悩み
http://news.livedoor.com/article/detail/3194462/

「KY」は、いやなことばだ
http://www.news.janjan.jp/column/0803/0803102391/1.php

空気は読めて当たり前
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/01/post_e86e.html

KYより怖い“仲間はずれ”
http://blog.business-i.jp/machiko/2008/02/post-ac06.html

夫がKYで困っています。
http://woman.mag2.com/kirokiro/080131.html

KYに新種誕生。「困ればすぐ呼ぶ」&